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マヤ文明研究者 Yuの語り
古代文明や教育などについて感じたこと・考えたことを語ります。
【お知らせ】 世界史授業内容の移転
これまで「Yuの語り」で公開していた「世界史授業内容」や
「実践記録」を、新たなブログに移転しました(2016.4.25)。

 「マヤ夫の世界史授業」 ← ここをクリックしてください。

授業以外の内容については、
引き続きこのブログで更新していきます。


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542 第1回東北アクティブラーニングフォーラムに参加して
昨日、東北アクティブラーニングフォーラムが、
石巻専修大学で開かれました。
初めての開催ということで、参加してきました。

DSCN9072.jpg

こういう趣旨のイベントに参加すると、
参加しただけで何か勉強したり、大事なものを得た気になりがちなので、
自分としての「振り返り」をしてみます。

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昨日のフォーラムのプログラムは、以下の通りです。

・基調講演
 「ふたば未来学園高校の取り組み
   ~解のない課題に挑む生徒育成」

・ワークショップ
  フィッシュボウル

・分科会
  知識創造メソッドを活用した授業
  (これ以外にも二つの分科会がありました)

・ワークショップ
  ワールドカフェ
  問1 ALってなんだろう?
  問2 ALでなにができるか?
  問3 ALをやり続けるには?

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昨日のフォーラムでもっとも重視されたのは、
おそらく最後の「ワールドカフェ」だったはずです。
グループごとで「問い」について話し合い、
それをジグソー法によって共有し、
最後にグループの代表者がそれを2分間でプレゼンしました。

グループでの話し合いなので、
私個人の考えだけが反映されたわけではありません。
決してうぬぼれているわけではありませんが、
昨日の参加者には、まだまだ勉強を始めたばかりの方も
多く含まれていたように思えました。
だから、その方たちの意見を引き出す
ように「ワールドカフェ」に臨んだ部分もありました。

ですから、私は一代表としてプレゼンしましたが、
そこでお話しした内容でないことを、ここで書きたいと思います。

巷ではアクティブラーニング(AL)が、
学力にどう結びついたかどうかを気にし、
それを検証する試みもあります。
でも、ALは模試の成績や入試実績を伸ばすためにやっているのではないし、
仮に成績が伸びたとしても、それがALの効果かどうかはわかりません。
ただ、ALがうまくいけば、生徒の学ぶ意欲や
学び続けようとする姿勢は向上すると思います。

これからグローバル化や知識をいかに活用するかを重視する社会が進み、
授業の質的転換が必要だと言われているなかで、
「授業改善→学習の効率化→偏差値アップ→入試実績向上」
というスタンスだけで、ALを評価することは貧しい考えだと感じます。

ALに根差す授業が生徒に学力を確実に育み、
私たち教員自身が授業観や学習観を変えるためには、
一人一人の教員だけでなく、
学校全体でコンセンサスを得て進め、
さらには社会全体がその方向で進めて行かなければ、
ALそのもののを受け入れていくのは難しいでしょう。

理想的な教員とは、「知識」を与え、「環境」を整える存在だと思います。
これは、私が教えたある卒業生のコメントです。
随分前のことになりますが....。

「先生から、受験に出る知識を教わったからではなく、
関心ある学問の世界を紹介され、
興味をかきたててくれたことで、
歴史を勉強してみたいと考えました。
先生の授業のおかげで様々な知識がついただけでなく、
もっと知りたいと強く感じ、学問への関心が生まれたことが、
今自分が歴史にかかわった生活をしていることにつながっています」

「知識」を与えることと同じくらい
学ぶ「環境」を与えることは、
教員にとって重要な仕事だと思います。
この両者のバランスを保っていくことこそが、
これからの時代を担う若者を育てていく大切な視点だと思います。

敵を作るようで少し怖いのですが、あえて書いてみます。

教育現場(特に中等教育)では、理念としての教育観を敬遠し、
豊富な知識を用いて魅力的に物事を語り、
生徒に「すごい」と尊敬されたい教員が一定数いると思われます。
自分の感性ややりかたに自信を持ち、
教育に関する哲学のない教員が、周囲にはいます。
もちろん、授業で語りつくせるほどの多くの知識や、
それを授業に活かす豊富な引き出しを持っていることは大切です。
でも、教員が「教えること=Teaching」から
「学ぶこと=Learning」へのパラダイムシフト
をしなければいけないと思います。

そういう仲間を増やしていくことが、
昨日参加したようなフォーラムの意義だと感じました。

541 研究に一区切り
昨日、金沢に行ってきました。
6年前、大学院博士後期課程の試験を受けに行ったときに、
思い切って訪ねて以来、ずっと懇意にさせていただいている方と、
昨夜もお会いしてごちそうになりました。

その方たちは、私が大学院生のときに
家庭教師をしていた子のご両親です。
毎回食事を用意してくださり、
一人さびしくアパートに住んでいた私にとって、
家族といっしょに夕食をいただきながら、
娘さんを教えていたのは楽しいひと時でした。
娘さんは努力家で、第一志望校に合格しました。

そのご両親は、私が研究の一歩を踏み出す時も、
今回研究に一区切り(退学届を提出)した時も、
いずれも私のそばにいて、励まし、楽しいひと時をくださいました。

昨夜も、私が夜行バスに乗るぎりぎりの時間まで、
食事の後のティータイムをつきあってくださり、
本当に恐縮してしまいます。
と同時に、とてもうれしく(こんな言葉では表現できないのですが)感じます。

会うたびに、素敵な夫婦だと感じます。
ご主人はお話が上手で、懐が深い方で、
奥様は落ちついていて、ご主人を立てていて、
それでいてご自身の考えもしっかりお持ちで、
私にとっては理想の夫婦です。
もちろん、これまでの長い人生いろいろあったのでしょうが、
今のお二人は、こうありたいと思えるカップルなのです。

昨夜も「運命」の話になり、
こうして一緒にいられるのも奇跡なのだと。
私が金沢を訪れるときは、必ず声をかけさせていただくのですが、
不思議とその日は時間がとれるのだそうで、
昨日も午後しか空いていなくて、しかも前日ならダメだったし、
一週間ずれていたら、先約が入っていたらしいのです。
だから、昨日の午後がピンポイント。

以前も声をかけさせていただいたとき、
やはりそれに似た状況が複数回会ったとか。
神様が合わせてくださるんですね、なんて話していました。
昨日は、頸椎症の薬を飲まなくてもいい状況だったので、
生ビールで乾杯しました。
とってもおいしかったです。

大学院で学び始める時も、
大学院を去ると決めた日も、
両方とも一緒に過ごしてくださるなんて、
本当に縁の深い存在なのです。
人と人とのつながりが、人生でとても大切なんだと、
強く感じることができました。

昨日金沢に行ったことで、
心の中では、これで研究に一区切りする気持ちがあり、
もう研究から離れようかな、と思いながら、
初めての北陸新幹線に乗っていました。

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でも、「文化遺産の発信地としての博物館」というシンポジウムに参加し、
とても知的好奇心を刺激されました。
さらに、指導教官の先生と相談して、
教育と文化資源を結びつける「博学連携」について、
これまでの研究を土台に、もう一歩踏み込んでみたらどうか
というアドバイスをいただき、次のステージに進もうと思いました。

だから、ある意味では、第二の出発の日に、
乾杯してくださったともいえます。

いずれにしても、私にとって不可欠な存在なんです。
そして、お二人から(選んでくださったのはきっと奥様)
金沢のお土産をいただきました。
毎回毎回、何かしら持たせてくださるのです。
その気持ちがまたうれしくて、カメラに収めました。

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家族全員で、ありがたくいただきます。
感謝の気持ちでいっぱいです。

540 教え子の合格
今日はとてもめでたい日です。
教え子が第一志望校に合格したからです。
その子は、いくつかの事情があって、
複数回の大学受験をしましたが、すべて不合格でした。

最初の受験失敗では、精神的にかなり厳しい状況でしたが、
その後立ち直ってしっかり受験勉強に向かいました。
でも、またもや試練があり、結果はうまく行きませんでした。

どう精神的にコントロールをするのか、
応援しながら少し距離を置いてみていました。
そうしたら、精神的に成長したのでしょう。
切り替えは早かったように思います。
そして、以前よりもパワーアップして、
さらに真剣に受験勉強に取り組むようになりました。

質問も人一倍しにきて、着実に力をつけました。
センター試験は、その子の力からすると
決して出来がいいわけではありませんでしたが、
志望校のボーダーラインはきちんと超えていました。

そしてセンター試験が終わってからも、
個別指導でほぼ毎日いっしょに勉強しました。
今年一年で、一番世界史を真剣に勉強した教え子の一人です。

今日の試験結果は全学部全勝!
予想通りだったのですが、やはりホッとしました。
本人はなおさらそうでしょう。
本当に合格おめでとう!

最後の個別指導の日に、
オフレコで私自身の思いや、
勤務校の状況をお話ししました。
少し生徒に話す内容を逸脱しかかりましたが、
もう卒業ですから、本音を話しました。
そういう付き合いもいいかなと思って。

少し回り道したけれど、
これまでの失敗は絶対に無駄にはなりません。
何より「成長」という大きな宝物を手に入れましたから。

本人は「ぼろぼろになった世界史の教科書」が宝物だと言っていました。
確かにそうですね。がんばったもんね!

これからの活躍を心から祈っています!

539 フィラデルフィアつながり
今日は私が以前住んでいたことがある
フィラデルフィアから様々なことにつながり、
現在に至っていること、そして幸せな気持ちになっていることを
書いてみたいと思います。
フィラデルフィアとマヤ文明は、とても深い関係があります。

昨日アメリカンフットボールの世界一を決める
第52回スーパーボールが行われました。
そして、長年私がファンであるフィラデルフィアイーグルスが
見事初の栄冠に輝きました。

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イーグルスはレギュラーシーズンに順調に勝ち星を重ね、
今シーズンはスーパーボール出場(各リーグのチャンピオン)
になれるのではないかと期待を膨らませていました。
でも、シーズンも後半になったある試合で、
エースQBが負傷し、リーグ優勝に黄信号が。
控えのQBも悪い選手ではありませんが、
やはりエースと比べると力はやや落ちます。
しかも、突然の代役ですから、オフェンス陣との息が合わず、
得点力がガクッと落ちました。
「あのままQBが健在だったら、スーパーボールも夢でなかったのに」
と周囲では評価していました。

でも、試合を重ねるごとにチーム力は回復してきて、
下馬評を覆してのスーパーボール制覇でした。
控えQBで引退も考えた選手は、最優秀選手として表彰されました。
イーグルスのメンバーたちは、
「希望を捨てずにがんばれば夢がかなう」
「誰も俺たちの夢の邪魔はできない」
「最高のチーム、ファン、そして家族だ」
と口々に興奮しながらインタビューに答えていました。

そう、あきらめたらそこで終わり。
自分を信じ、仲間を信じ、一生懸命努力したから、
優勝を勝ち取ることができたのです。
これは、わたしたちの日常生活でも言えること。
そのことを、世界史の授業で2年生に話しました。
進度が遅れ気味になってしまいましたが、
このことは生の声で伝えたかったのです。
気のせいか、授業内容よりも一番目がしっかりしていた
のは、この話をした時だったかもしれません(笑)。

さて、私がフィラデルフィアに住んだことがあるのは、
25年前に大学院生だったとき、交換留学でペンシルヴァニア大に
行ったからなのです。
当時の私は、英語力がなくて、普通なら留学生として選ばれなかったはずでした。
でも、マヤ文明の研究で有名なその大学には、
有名な研究者が複数いて、その方たちの論文や報告書をかなり読んでいました。

だから、英語力が抜群の英文学科の学生たちが
「英語を勉強して経験を積みたい」という理由だったのに対し、
私は「○○先生は○○の研究をしていて、○○の成果を出しているので、
    その方法論を学んで、日本考古学に貢献したい」
 なんて格好いいことを面接試験で言ったのです。
それで、きっと選ばれたのだと思います。ラッキーでした。
そして、私を会議で推してくれたのが、私のマヤ文明の恩師でした。
「お前の英語は問題あるけど、動機はよかったから推薦できた」
と、先生はおっしゃっていたのを覚えています。

意気揚々と、自分の英語力不足を棚に上げ、
私はペンシルヴァニア大学人類学博物館に毎日通いました。
そこで授業も、ゼミも、そして研究もしました。
それが現在のマヤ研究につながっているのです。

あ、ちなみに、妻と結婚していい家族に恵まれたのも、
フィラデルフィアに行っていなければなかったことです。
大学の学生寮で知り合ったのが、妻の幼馴染で、
そのつながりで結婚できたのですから。

それ以来、私はイーグルスファンとなり、
毎年、テレビやネット動画で応援してきました。
だから、今回のスーパーボール制覇は本当にうれしいです!

さて、スーパーボールが終わった翌日、
その恩師のお宅から昨年末にいただいてきた皿が
朝の食卓に出てきました。
私は知らなかったのですが、妻がそれをいただいてきていました。
皿には先生らしくマヤ文字がデザインしてありました。

DSCN9017.jpg

そして裏には制作日が書いてありました。
その年は、私が高校の専任教員に決まって就職した年でした。
日にちは私の誕生日だったのです。
嘘のようなホントの話です。
偶然ですが、先生が記念すべきスタートを切る誕生日を
祝ってくれたかのようでした。
その日の朝は、少し興奮気味で学校に向かったのです。

さらに、今後の進路を相談するために、
現在の大学院(博士課程に社会人院生として在籍しています)の指導教官に
連絡したところ、ちょうどマヤ文明を含めた博物館のシンポジウムがあることを
聴かされ、お誘いを受けました。
これまたフィラデルフィアつながりのマヤ文明。
スケジュールをうまく調整して、急展開ですが、
金沢に行くことにしました。

金沢は、福井や富山と並び、現在大雪に閉口しています。
でも、何とか交通手段が回復して、
無事シンポジウムに参加して研究を深め、
指導教官と有意義な話ができればいいと思っています。

長くなりましたが、先月の恩師のカバンで初出勤して
話してきた中南米の古代文明の講演会。
マヤ文字がデザインされ、私の大切な日を刻んだ先生の皿。
そして、マヤ文明の博物館をテーマとしたシンポジウム。
マヤ文明研究の拠点となったフィラデルフィアのチームの優勝。
これらのことがここ3週間にまとまって起こったのです。
偶然かもしれませんが、この偶然が私の研究意欲を
高めてくれたのは間違いありません。

先生、ありがとうございました!

538 恵方巻
今日は節分。
昔は「鬼は外、福は内」と叫んで豆まきしたものですが、
昨今はうまく商業主義も働いて「恵方巻き」が人気のようですね。

うちの息子が、恵方巻についてブログに書いてみたら? というので、
過去のブログから引っ張り出してきました。

==============

5年前のブログ(140番から)

恵方巻きweb

私が子どものころは「恵方巻き」なんて知らなかったです。
大阪方面の習慣だったのが、10年くらい前から全国に広がったとか。
その年の恵方(今年は南南東)を向いて
心の内に願いごとをしながら黙って食べると
願いがかなうとか。
私は食べ方を知らなかったので、話しながら食べていて家族に叱られました(笑)。
みなさんは、どんな願いをこめて食べたのでしょうか。

私の世代では、節分と言えば「鬼面」でしょう。
これは、うちの息子が小学2年生のときに作ったもの。
気に入っていたので、出してきました。

鬼面web

節分も、徐々に姿を変えていくかもしれません。
ある意味、節分の儀も「文化資源」と言えます。
過去の貴重な風習だったと、いつの日か懐かしまれる日が来るのでしょうか。

次に1年前のブログ(482番から)

節分は2月3日だと思っていませんか?
私も最近まではそう思っていましたが、
節分は年に4回あるんです。

本来、節分というのは立春・立夏・立秋・立冬の前の日のことを指します。
旧暦では立春のころが一年の始めだったので、今日が元日ということになります。
立春を新年とすると、昨日の節分は大晦日だったのです。

というわけで、大晦日(節分)だった昨日、豆まきしたと思いますが、
一方で恵方巻きを食べた家庭も多かったのではないでしょうか?
その年の恵方を向いて話をせずに太巻きを食べるという風習は、
関西から始まったものですが、今では全国的にひろがっています。
facebookで友人が
「誰が全国的に広めたのか知っていたら教えて!」と書いていました。
元々は、大阪の海苔問屋協同組合による節分のイベントだったのが、
マスコミが取り上げて、誰かが意図的に広めたらしいのです。
どうも商業主義のニオイがしますが、無責任な発言は控えます。
どなたか知っていたら、ぜひコメント欄に書き込みお願いします。

=============

ということで、恵方巻についてでした。


537 院生としての研究生活も6年
思い返せば、2012年2月。
新たな学問の道の戸をたたきに、
1994年以来、18年ぶりに金沢に行きました。

このブログを始めたばかりの20回目に
社会人院生の試験を受け、合格したことを書きました。
こんな風に。

~~~

なぜ金沢に行ったのか?
その理由は、本格的にマヤ文明世界遺産の研究がしたくて
金沢大学大学院博士後期課程の社会人選抜を受験してきたからです。
今日、合格発表があり、何とか指導していただけることになりました。
でも、合格したものの、これからやらなければならないことが沢山...
そして、時間的にも環境的にも、困難が待ち受けているイバラの道...
手放しで「やったあ!合格した!」という気持ちにはなれません。

でも、この歳になって、
今までとは違うテーマでマヤ文明研究をできるなんて幸せです。
こんな気持ちにさせてくれたのは、間違いなく昨年3月の東日本大震災。
多くの貴重な命が奪われ、志半ばで他界した方々が多くいました。
自分がやりたいこと、できることは何かを真剣に考える機会が与えられました。
一度きりの人生、やりたいことを
思い切りやらなければ悔いが残ると感じたのです。
生きていることを大切にしようと。
家族はもちろん、職場でも理解して応援してくれる人はいます。
だから、わがままだけど、一歩踏み出そうと思いました。

研究テーマは
「マヤ文明世界遺産の保存・活用と歴史教育の連携に関する研究」
考古学と教育学を総合したような、新たなテーマ。
なかなか難しいでしょうね。しかも教員を続けながらの大学院生。
だから、指導して下さる大学院の先生方からも、
様々なアドバイスをいただくことになります。

~~~

で、もうすぐ6年経とうとしています。
6年というと、在学できるぎりぎりの期限。
6年の間に指導教員も、研究テーマも変わりました。
もともと教育とからめてマヤ文明を見ようと思っていましたが、
今ほど「博学連携(博物館と学校の連携教育)」が
メジャーになっていませんでした。

現地中米には多い時には1年に3回足を運びましたが、
やはり長期滞在による研究は、教員をやりながらは不可能でした。
もっとも私の能力にも問題がありましたが。

対象はマヤ文明の遺跡公園から
比較的調査に行きやすい日本の遺跡公園に徐々にシフト。
ただ、勤務校で学年主任を仰せつかり、
研究にかける時間も激減していきました。
それでも、ふとしたときに研究意欲が湧き、
そして仕事が忙しくなると意欲が衰える繰り返しでした。

今後どういう研究生活にするのか、
自分の中ではほぼ結論は出ていますが、
もう少しだけ抗ってみたいと思います。

自分の気持ちを奮い立たせるために、
原点となる写真を再度載せておきます。

考古学研究室web

今ごろ、受験生も頑張っているはず。
一緒に頑張りましょうね!

536 ようこそ古代アンデス文明へ
昨年12月に、私を中南米研究に導いてくださった恩師の家に行き、
先生の使っていたカバンをいただいてきたのですが、
そのカバンを持って、初出勤してきました。
先生と一緒に行った気分で。
明るくユーモアのある先生に近づこうと、
参加したみなさんに楽しんでもらおうと努力しました。

DSCN9007.jpg

その初出勤とは、
山形県天童市の西沼田遺跡公園で開いた
「冬の歴史講座 西沼田大学」でした。
この西沼田遺跡公園では、
毎年歴史講座という催しをしていて、
冬でも多くの人たちに楽しんでもらおうと
この講座のほかにも様々な企画を工夫しています。

西沼田大学2018冬fb用

今日の講演は「ようこそ古代アンデス文明へ」でした。
スタッフの皆さんが場を盛り上げてくれて、
とても話しやすい雰囲気を作ってくださいました。
大変ありがたかったです。
あのような温かい雰囲気を作っている遺跡公園だからこそ、
規模は決して大きくないものの、
たくさんの地域住民のみなさんが集まるのでしょう。

さて、古代アンデス文明展が東京で行われていますが、
7月に私が住んでいる町にもやってきます。
そこで僭越ながら、古代アンデス文明展の紹介も兼ね、
古代アンデス文明のお話をしました。
山形大学の先生方が絶対にふさわしいのですが、
現在もナスカにいる先生もいらっしゃることと、
以前私がこの遺跡公園でアンケート調査した縁もあって、
今回声をかけていただきました。

DSCN9000.jpg

西沼田大学でお話しした内容ですが、
前半は古代アンデス文明展の紹介で、
後半は、カラル文化、ナスカ文化、そしてインカ帝国
を取り上げました。

いただいた時間は90分。
察していただけると思いますが、時間は足りません.....。
本当にざっと紹介した形になってしまい、
深い内容についてはこれからという感じでした。

進め方は、いくつかの問いを発して、
アイスブレークをしました。
会場がテーブルを囲むレイアウトだったこともあり、
対話はしやすかったのですが、
やはり聴きにいらしているのは文明の内容を知るためですから、
通常の授業のようなthinking timeは取れませんでした。

それでも、現地アンデスで購入したCDをBGMにして、
笑いも交えながら和やかな雰囲気で聴いてもらえたと思います。

カラル文化については、紀元前3000年くらいに
神殿と宗教建造物が建築されました。
しかし、この遺跡のその時期の層位からは
土器が発見されていません。
まだ人々が定住しない時期に、この神殿が建てられたことになります。
つまり、農耕はあったとしても十分な発展がなかったわけです。
そのような時期に神殿があったということは、
農耕が進んで社会階層が発生し、
貧富の差が生じて職業が分化して神官や統治者が現れたという
これまでの文明の成立過程の説明が不十分だったことを意味します。
その意味でも、カラル文化は重要なことを私たちに投げかけています。

次にナスカ文化についてです。
昨日テレビで放映されたナスカの地上絵について
質問も出たこともあり、首級が儀礼で重要だったことを解説しました。
シャチが首級(生首)を持った地上絵やナスカ土器のモチーフ、
そしてカワチ遺跡の首級ミイラなどの写真も見ながら、
ナスカの地上絵がどんな意味があるのか、
山形大学の坂井先生の説も紹介しながら解説しました。

DSCN8973.jpg

古代アンデス文明展では、
地上絵が描かれた理由は明らかにされていないとされています。
でも、いくつか候補となる学説は存在します。
一番有力だと思われるのは、農耕儀礼です。
ナスカの土器に農作物が多く描かれていて、
そのほかに動物も多く土器のモチーフにありますが、
多くが地上絵に描かれているのです。
そのため、農作物が豊かにとれるよう儀礼があったという考えがあります。

また、意図的に割られた土器片が、地上絵の付近で見つかっています。
わざと土器を割るという行為は、儀礼行為として他地域でも見られます。
そのことも、儀礼の場であったことを推測する理由です。

最後にインカ帝国の話をしました。
でも、この時点で残りが10分を切っていました。
マチュピチュとクスコについて画像を見ながら解説しましたが、
残念なことに急ぎ足で終了。
マチュピチュが寒い気候を避けるために作られた説や、
(実は都クスコよりマチュピチュは1000mも低い場所にあります)
太陽(天)に近い場所として宗教的空間として利用した説などを紹介しました。

クスコについては、12角や14角の石を紹介しましたが、
なぜあれだけの精緻な石積みが鉄器もなしに作られたのか、
いまだによくわかっていません。

このことについては質問も出ましたが、
本当にわかっていないのです。
こんな説があります!という方は、
ぜひ教えていただけるとうれしいです。

今日はとても寒かったのですが、
こんな寒い日に集まっていただいた皆さん、
ありがとうございました。
感想を聞くと、まずまず喜んでいただけた様子でした。
楽しんでいただけたようで良かったです。

私自身も、とても楽しく過ごすことができました。
西沼田遺跡公園のスタッフの皆さんが、私の力を引き出してくれました。
あの温かい空間大好きです!また伺います!
今日の出会いはとても貴重でした。
参加したいただいた皆さんに、心から感謝申し上げます。

追伸
恩師の先生がもし一緒にいたなら、何と声をかけてくれるでしょうか?
「まあまあだな」なんて笑いながら、優しい目で見てくれることでしょう。

535 最終授業と卒業礼拝
今日、3年生の卒業礼拝が行われました。
これで来週から、受験直前講習に通う生徒だけが通学します。
それ以外の生徒たちとは、
系列大学の入学宣誓式と、高校の卒業式を除いて
会うことがないと思います。

DSCN8969 (2)

決して優秀で抜群の生徒たちではなかったけれど、
憎めないいい子たちでした。
少なくとも私の中では、自分の息子たちと歳がほとんど
変わらなかったせいか、自分の子どものように接してきました。
そのせいか、人と話すときに。
「生徒たち」ではなく「子どもたち」と言ってしまいます。
賛否両論あると思いますけど。
だから、少し寂しい気持ちになるかもしれません。
まだ実感はありませんが。

昨日、世界史の最終授業を行いました。
今年夏に、現在上野で開かれている「古代アンデス文明展」が
私の住んでいる町にもやってきます。
そこで、その展覧会の紹介と宣伝を兼ねて、
「ようこそ古代アンデス文明へ」という
最後の授業をやりました。
いつものように質問を投げかけての授業ではなく、
小さな問いを出しながらの解説調だったので、
眠そうな生徒が二人(そう君たちのことだよ笑)いましたが、
総じてよく聴いてくれました。
目が「生きて」いました。

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授業が終わったら、教卓に何人も集まってきてくれて、
列をなして「ありがとうございました」と握手を求めてきました。
彼らのパフォーマンスかもしれないけれど、
私がうれしくなるツボをよく知っています。
本当に幸せな瞬間でした。

3年間一緒に勉強できてよかった!
ありがとう!

534 2018年度センター試験世界史Bの解答・解説
今年も大学入試センター試験が始まりました。
今年の3年生は、自分が学年主任を3年間務めた学年。
だから、とても思い入れがあります。
自分の子どものように感じながら、接してきました。
当然、担当教科の世界史も、力が入りました。
「センター試験のお供」という対策プリントも作りました。
直前にも見直して、いい結果が出ると嬉しいです。

今朝、生徒たちに配ったキットカット。
受験生用メッセージがついているのですが、14種類ありました。

キットカット

今日の夜に、問題がネットにアップされたら、
例年通り、早速解答と解説を作ります。
文系私大受験生は、明日から早速一般受験に向けて復習が必要ですから。

問題数は例年同様に36問で
大問構成は次の通り。

1 世界史上の帝国や王朝の支配
2 宗教や宗教集団
3 世界史上の都市とその建造物
4 人の移動と戦争との関わり

やっと、21:40に河合塾のネットに問題が公開されたので、簡単に解説を作りました。

難易度と予想平均点

地図問題が少なかったのは意外だが、文化史や戦後史が多くなかったのは現役生には幸いした。平易な問題が多かったが、第1問の3、第3問の22・26、第4問の31・32・34などの正答率が低いと思われる。各予備校では昨年並みとなっているが、全国平均点はやや上がって66~68点と予想する。前半でいかに取りこぼさないかがカギとなる。

追加:全国平均点は67.97、校内平均点は69.17だった(2018.2.1)

第1問
1 正解② 猛安・謀克 ⇒12月授業・冬期講習ヒット!
 ① 領邦教会制はルター派により進められ、アウクスブルクの和議によって確定した。
    領邦君主(諸侯)がその領内の教会の首長となり監督する体制。
 ③ マンサブダール制はムガル帝国のアクバルが位階ごとに禄を定め、
    その額に応じて騎兵と騎馬を養わせた制度。
 ④ 骨品制は新羅

2 正解② ローマの平和は1~2世紀、『ローマ法大全』は6世紀 ⇒冬期講習ヒット!
  『ローマ法大全』はビザンツ皇帝ユスティニアヌスが、法学者トリボニアヌスに編纂させた。

3 正解③ リスボン
 ① 綿織物 → 絹織物
 ② アドリアノープルは、オスマン帝国のムラト1世が1366年に定めた都。
 ③ 第4回 → 第1回

4 正解③ 『ローランの歌』 ⇒冬期講習ヒット!
 ① 『ラーマーヤナ』は、インドのグプタ朝で原形が作られたサンスクリット文学。
 ② 『イリアス』は、ギリシアのホメロスの作品。
 ④ 『ギルガメシュ叙事詩』はメソポタミアで成立した。

5 正解② ヘンリ2世の創始 ⇒12月授業ヒット!
 ① 七王国を統一したのはエグバート
 ③ マグナ=カルタを認めたのはジョン王
 ④ シモンの議会が成立したのは、ヘンリ3世の治世時。

6 正解① キープ ⇒12月授業・冬期講習ヒット!
 ② 緑営は漢人による軍隊
 ③ ギュルハネ勅令(タンジマート)は、アブデュルメジド1世による法令
 ④ 第1次ロシア革命中の1905年、ニコライ2世が国会開設などを認めたもの。

7 正解④ ヒヴァ=ハン国はやや難しいが、消去法で答えられる ⇒冬期講習ヒット!
 ① 大月氏 → エフタル
 ② 柔然 → 匈奴
 ③ ヴァルダナ朝は北インド

8 正解③ 覇者は春秋時代
 ① 宋と遼の盟約
 ② 両税法ではなく租調庸制
 ④ 湖広は長江中流域

9 正解③
 a 誤り:『漢書』は紀伝体 ⇒冬期講習ヒット!
 b 正解:ラシード=ウッディーンはイル=ハン国で『集史』を著した。

第2問
10 正解① ナーナクがシク教を創始 ⇒12月授業・冬期講習ヒット!
 ② シヴァ神はヒンドゥー教の主神の一つ
 ③ ヒジュラ暦はイスラーム暦
 ④ 景教はネストリウス派キリスト教

11 正解④ パータリプトラはガンジス川流域 ⇒12月授業・冬期講習ヒット!
 唯一の地図問題 引き続き各王朝の都名と位置を注意!

12 正解③ ゴードンは太平天国を常勝軍で鎮圧した
 ① イッソスの戦いで敗れたのはアケメネス朝
 ② 司馬炎が建てたのは晋(西晋)
 ④ 劉永福が組織したのは黒旗軍

13 正解④ ドレフュス事件 ⇒12月授業ヒット!
 ① シオニズムはユダヤ人国家の建設を進める回帰運動
 ② モーセは十戒を説いた
 ③ アフラ=マズダはゾロアスター教の善神

14 正解① 乾隆帝が外国船に開いたのは広州 ⇒12月授業・冬期講習ヒット!

15 正解② シェークスピアの同時代史 ステュアート朝は1603年創始⇒12月授業ヒット!
 ① ラダイト運動は産業革命期(18世紀)におこった機械打ちこわし
 ③ ウォルポール首相は18世紀前半に活躍(ハノーヴァー朝)
 ④ アイルランド自治法案は1914年に成立したが、第一次大戦後まで延期

16 正解② ワッハーブ派―サウード家
 十二イマーム派はシーア派の最大派閥
 ハーシム家はヒジャーズ王国を建てた一族で、サウード家と対立

17 正解④ バーブ教徒の乱はカージャール朝で発生 ⇒12月授業ヒット!
 ① ウィクリフが異端とされたのはコンスタンツ公会議
 ② イスラーム同盟はインドネシア
 ③ 白蓮教徒の乱は清朝(19世紀末)

18 正解② 12月授業ヒット!
 a 正解:ルール占領はフランスとベルギー
 b 誤り:北緯38度線以北はソ連が占領

第3問
19 正解① 新羅の慶州で仏国寺が建立 ⇒冬期講習ヒット!
 ② ポタラ宮殿はチベット仏教の総本山
 ③ クトゥブ=ミナールは奴隷王朝のアイバクによって建立
 ④ ピサの斜塔で実験したのはガリレオ

20 正解① この地でグーツヘルシャフトが発展した
 ア―エルベ川  イ―ブランデンブルク辺境伯領

21 正解④ カルロス1世=皇帝カール5世 ⇒12月授業・冬期講習ヒット!
 ① カペー朝を創始したのはユーグ=カペー
 ② 審査法を制定したのはクロムウェル
 ③ クローヴィスはフランク王国を創始

22 正解④ デンマークはプロイセンに敗れ、シュレスヴィヒ・ホルシュタインを失った
 ① ハンガリー王国を建てたのはマジャール人
 ② カルマル同盟は北欧3国
 ③ ポーランドが選挙王政をとったのはヤゲウォ朝断絶後

23 正解③ アステカ王国の都はテノチティトラン ⇒12月授業ヒット!
 ① クテシフォンはパルティア王国やササン朝の都。ペルセポリスの誤り。
 ② コルドバは後ウマイヤ朝の都
 ④ テーベはエジプト中王国・新王国の都。アッシリアの都はニネヴェ。

24 正解② 武器貸与法
 ① ブルムは人民戦線内閣で、ヴィシー政府を率いたのはペタン
 ③ ドイツはスターリングラードの戦いで敗北
 ④ 無条件降伏したのは、イタリアのバドリオ政権

25 正解④ リューベック ⇒ 12月授業・冬期講習ヒット!
 ③ モンバサはやや細かい。地図で確認。

26 正解② 表現が難しい。農民や中小商人を保護した。
 ① 新法は王安石が推進
 ③ 宋は遼の防備を強化
 ④ 東林派と非東林派の対立は明代

27 正解② グラフの読み取りと年代 ⇒12月授業ヒット!
 a 第一次世界大戦は1914~18年
 b 五・四運動は1919年、義和団事件は1900~01年

第4問
28 正解①
 a ラス=カサスはエンコミエンダ制をカルロス1世に報告し、これを批判した。
 b アステカ王国もインカ帝国も天然痘で多くの人々が亡くなった。

29 正解① 西山(タイソン)の乱は難しいが、他の選択肢の誤りが明確 ⇒12月授業ヒット!
 ② 陳勝・呉広の乱は秦末
 ③ ジャックリーの乱はフランス
 ④ ハイドゥの乱はモンゴル帝国におけるフビライのハン即位に対する反乱

30 正解③ ⇒ 12月授業・冬期講習ヒット!
 ① リシュリューを宰相にしたのはルイ13世
 ② 十四カ条の平和原則を主張したのはアメリカのウィルソン
 ④ インド皇帝(ムガル帝国滅亡後の1877年)に即位したのはヴィクトリア女王

31 正解③ 今回の一番の難問
 ルワンダ内戦はフツ族とツチ族との対立で起こった1990~93年の出来事。

32 正解③ モンゴル人民共和国は1924年に成立
 ① ブレジネフがソ連共産党第一書記に就任したのは1964年
 ② フェビアン協会設立は19世紀後半
 ④ 極東国際軍事裁判は第二次世界大戦後

33 正解② スペイン王国が1492年にレコンキスタを完了 ⇒12月授業ヒット!
 ① スペイン王国は1479年に成立。東ゴート王国は555年にユスティニアヌスが滅ぼした
 ③ ユトレヒト条約でジブラルタルとミノルカ島を得たのはイギリス
 ④ フランコ将軍側がスペイン内戦に勝利した。

34 正解③ アインシュタインがナチ党の支配を逃れたのは、教科書レベルとは言えない。
 ① ダライ=ラマ14世は1959年のチベット蜂起の際にインドへ亡命
 ② ジェームズ2世は名誉革命により亡命
 ④ 渤海は大祚栄により建国。衛満が建てたのは衛氏朝鮮。

35 正解① 袁世凱が孫文に代わって臨時大総統に就任 ⇒12月授業ヒット!
 ② 浙江財閥は、1927年の上海クーデタで蔣介石を支援した反共勢力。
 ③ 辛亥革命は四川で暴動が起こり、武昌の武装蜂起ではじまった。
 ④ 中華民国の成立は南京。

36 正解④ ANZUSは1951年に豪・ニュージーランド・米で結成 ⇒12月授業ヒット!
 ① ドプチェクはプラハの春で民主化運動を推進するも、ソ連の介入で失敗した。
 ② アデナウアーは西ドイツの初代首相
 ③ バグダード条約機構はアメリカ側の対ソ軍事同盟(米国はオブザーバー)

以上です。では引き続き受験勉強、がんばってくださいね。

点数が良かった人は、そのまま上昇気流に乗って!
悪かった人は、間違ったところを理解して、新たな知識をつけて次の試験に臨んでください!

(1/13 23:55 更新)


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